東京高等裁判所 昭和62年(う)942号 判決
① 原判決は,1期の自費診療収入の認定につき,いわゆる推計の方法を用いたが,右自費診療収入は,カルテに基づく実額認定が可能であるのにされた推計であって違法な認定である。
② 原判決のなした推計は,その方法においても合理性が認められず,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の証明が得られていないにもかかわらず,敢えて犯罪事実を認定した誤りがある。
というのである。
2 そこで,検討するに,
(1) 1-①について
① 逋脱罪の逋脱所得金額の認定に当たっては,実額を認定することを要するとともに,実額の一部認定をすることも許容されている。そして,推計の方法を用いて得られる数額は,それが実額を超えていないという保障さえあれば,実額の一部であるという意味において,その数額もやはり実額ということができる。したがって,逋脱所得金額の認定について,実額認定の要請があることは,推計の方法を用いることの妨げとはならないのであって,刑事事件において,推計の方法を用いて所得金額を認定するということは,間接的な資料から所得金額を推認して認定することにほかならず,推計の方法が経験則に照らし合理的である限り,これを用いた認定が刑事裁判においても当然許容されるものというべきである。
② 所論は,刑事事件において逋脱所得を認定する場合は,行政事件における認定に比し,推計の必要性につきより厳格な判断が要求されなければならないところ,本件1期分の自費診療収入は,カルテに基づく実額認定が可能であり,現に昭和48年3月10日以前の矯正診療分については,板谷(別称岡崎)にカルテの精査による診療報酬の計算をさせながら,一般の自費診療についてはカルテの精査を看過したのは収税官吏の怠慢であり,カルテに基づく実額認定をせずに推計の方法によった原判決は,違法な認定方法によったものとして破棄を免れない,と主張する。
しかしながら,関係証拠によれば,本件1期分について,被告人は,所得実額の算定の基礎となるべき収支を明らかにする帳簿を備えつけておらず,いわゆる岡崎小手帳(東京高裁昭和62年押第319号の7ないし13)も昭和48年分については,同年8月13日から同年10月19日分までしかなく(右押同号の13),これだけでは同年度の年収額を算定することはできないことが明らかである。なるほど,カルテから直接自費診療収入金額が計算できれば,当然それによって金額を確定することも考えられるけれども,カルテは,外国語で記載されており,局外の第三者にたやすく判読,理解することができるものではない。しかも,保険診療分については,保険の点数がカルテに記載されており,保険診療費請求の関係で1点何円と定められているので,第三者がカルテにより保険診療収入を計算することができるけれども,一般の自費診療分(自費診療には,矯正診療とその余の一般の自費診療があるが,以下,特に断らない限り一般の自費診療につき単に自費診療ともいう。)についての診療費は,カルテに記載されていないので,第三者が直接カルテに基づいて自費診療収入を計算することはできない。もっとも,被告人方歯科医院の自費診療による診療費は,あらかじめ診療内容毎に一応の目安となる料金が定まっていて,診療後会計係にカルテが回され,会計担当の板谷らはカルテに記載された診療内容を判読して,あらかじめ定められた診療内容毎の目安料金に基づいて診療費を計算して患者に請求していたとみられること,カルテは,診療録として5年間保存されることになっていることなどからして,カルテを直接1枚1枚当たって外国語で書かれている診療内容を判読し,右の目安料金を基に診療費を確定していけば,自費診療収入金額を算出できたのではないかと思料されるが,これができるのは,被告人なり被告人方の会計担当者であり,同人らの積極的協力がない限り,局外の第三者が右作業をすることはできないのであって,当時被告人側からそのような算出作業の申出があったような事実は窺えず,かえって,本件を担当した収税官吏が被告人に対して,カルテから自費診療収入金額を把握することはできないかと確かめたのに対して,被告人は,矯正診療は別として,カルテには,診療内容と保険の点数は記載されているが,自費診療の金額は記載されていないので,カルテから自費診療収入金額を計算することはできないと供述し,この方法による算出に応じる態度を示していなかったことが認められるから(被告人の昭和50年10月2日付収税官吏に対する質問てん末書<問12>記録2111丁),収税官吏がカルテに基づいて自費診療収入金額を計算しなかったことを非難するのは失当といわざるを得ない。
所論は,矯正診療の例を持ち出してカルテによる自費診療収入の計算をすべきであったと主張するけれども,矯正診療は,専門の矯正担当の医師が被告人方の歯科医院に出張して診療を行い,その診療代のうちの7割を矯正担当医師の収入とし,3割を被告人の収入としていたところ,矯正診療は,患者との間で,あらかじめ矯正治療の範囲,内容,治療代総額を取り決めた上で実施され,その治療が長期間にわたって継続し,治療代も全額一時前払・後払い,分割払いなどまちまちであった上,担当医師が替わることもあったので,矯正担当医師は,カルテに矯正診療収入の明細が良く分かるように記入していた。被告人方の会計を担当していた板谷らも,矯正診療収入については,一般の自費診療収入とは区別して,矯正診療収入ノートに記帳していた。かようなことから,矯正診療収入については,右矯正診療収入ノートに基づき算出されることとなったが,昭和48年3月10日以前の同ノートが紛失し見当たらなかったので,その分については,矯正診療カルテの記載を参照して算出された。被告人自身,矯正診療担当医師が作成していたカルテと自己が作成していた一般の自費診療カルテとの間には,右のような差異があり,一般の自費診療収入の算出については,カルテからの算出はできないとして,これによらないことを了解していたことが認められるから(被告人の昭和51年4月5日付収税官吏に対する質問てん末書<問21>記録2091丁),所論の非難は当たらない。
元来,納税者の収支なりその把握方法なりは,その納税者自身が最も良く知悉しているのが通常であるから,証拠物から直接被告人方の自費診療収入金額を把握することができない以上,その算出方法につき被告人に確かめ,被告人申出の算出方法によったからといって,それが不合理でない以上,非難されるべき理由はないところ,関係証拠によれば,被告人は,収税官吏から昭和48年分の自費診療収入金額確定方法につき尋ねられて,窓口で受領した自費診療収入金の出金処理状況について供述し,自費診療収入金は,イ 三和銀行越谷支店に開設した仮名普通預金へ入金,ロ その他の銀行の普通預金へ入金,ハ 銀行借入金等の返済に充当,ニ 窓口経費等の支払いに充当,ホ 被告人が受領して各種の支払いに充当,ヘ 矯正担当医師への支払いに充当するなどした,と述べ正規の帳簿書類を作成保存していないので,これらの出金経路別の金額を調査合計して確定する以外に方法はない旨供述していたことが認められ(被告人の収税官吏に対する昭和51年7月20日付質問てん末書<問4>記録2080丁),その算出方法になんら不合理な点が認められない上,それは全体実額を超えるものではないことが明らかであるから,自費診療収入を,所論のいうカルテに基づいて確定せず,叙上の被告人申出の算出方法により確定したからといって違法な認定とはいえない。
(2) 1-②について
そもそも,逋脱事犯においては,その性質上,所得を明らかにする帳簿書類や,収入・支出を証する資料を,始から作成せず,あるいは作成してもこれらを破棄したり隠匿して判らないようにするなど有力な物証が残されていない例が多いとともに,関係者の供述もまた会計証拠となり得るから,物証の足らざる科目については被告人等の供述により認定することもやむを得ない。そして,嫌疑者は,自己の不利益になることは極力隠し,利益になる点は洩らさずに述べるというのが通常であり,税法事犯においては収入は少なめに,経費は多めに述べるのが一般であり,自ら進んで自己に不利益な事実を述べる場合,その事実は信憑性が高いというのが経験則として一般に認められているところである。そしてまた,ここにおける本件の窓口経費支払額480万円及び被告人渡し支払額1200万円は,いずれも自費診療収入金額の確定をする過程で,銀行に入金したもの以外にこれらの支払合計金額に相当する自費診療収入があったとするものであり,関係証拠によれば,昭和49年分については,1年間分の自費診療収入ノートが残されていて,窓口経費支払額6,872,365円,被告人渡し支払額13,754,222円と確定していることが認められるところ,昭和48年分については,8月13日から10月19日までの自費診療収入ノートしかなく,他に右各金額を直接算出できる帳簿がないため,被告人は,叙上の昭和49年分の窓口経費支払額及び被告人渡し支払い額を考慮に入れつつ,これらとの対比で右各金額を推計するとともに,その推計の根拠を自ら供述しているところ,その供述内容に格別不合理とみられるものは見当たらない。
すなわち,まず,窓口経費について,被告人は,「毎月平均して支払っているわけではないが,1年を通じてみれば,ほぼ収入に比例していると思う。昭和49年の総収入に対する窓口経費の支払いが約6.8パーセントでしたから,昭和48年分の総収入を約7200万円とすれば,約490万円となるし,少なくとも月平均約40万円位は窓口で支払っていたと思うので,昭和48年分の窓口経費支払額は少なくとも480万円位はあると思う。」と述べ,さらに,被告人において,昭和48年分の領収書等12綴り(前押同号の21)及び昭和48年8月13日から同年10月19日までの自費診療収入ノー卜等の証拠物を点検し,かつ,廃棄したとみられる領収書分をも考慮に入れて検討してみたところ,窓口経費等の支払額は4,993,412円となり,被告人の供述額が裏付けられた(被告人の収税官吏に対する昭和51年6月2日付<問18>記録2066丁,同年7月15日付<問3ないし15>記録2070丁裏ないし2077丁,同月20日付<問14>記録2084丁各質問てん末書。なお,前述のとおり,ここでの窓口経費支払額の算出は,自費診療収入の出金経路別の金額を調査合計して自費診療収入金額を逆算して推計しようとするためのものに過ぎず,右窓口経費支払額499万円余のうち480万円を右出金経路別の金額として,これに対応する収入があったとすることは,収入の部分実額を認定したものとして不合理ではなく,このような措置を採ったからといって原判決の推計方法に疑念が生ずるわけではない。)。所論は,右領収書の選別作業は被告人がしたものではなく,収税官吏がした杜撰なものであり,これを根拠にすることはできない,と主張し,被告人も原審第30回公判で,これに添う供述をしているけれども,右各領収書及び上記の各質問てん末書の内容に照らし,領収書の選別作業は,被告人において,支払い費目・支払先・支払日・支払額等を検討して行ったことが明らかであり,被告人の関与なしに収税官吏のみにおいて選別作業を行ったとは到底認められず,被告人の右原審供述は信用できず,所論は採り得ない。
次に,被告人渡し支払額について,被告人は,昭和48年の支払額は,昭和49年の支払額13,754,222円より若干少ない位の額と思う,少なくとも月平均で100万円位支払っているので年額1200万円位になると思う,と述べるところ(被告人の収税官吏に対する昭和51年6月2日付<問20>記録2067丁,<問25>記録2068丁,同年7月15日付<問16>記録2077丁,同月20日付<問15>記録2084丁),これを不合理とすべき事由は見出し得ないので,被告人の供述する金額を認定するほかはない。なるほど,被告人は,その支払額の内訳についても供述するところ,これは具体的資料に基づくものではなく(さればこそ,推計せざるを得ないのであるが),所論のいうように内訳としての具体的事実の価値を有しないものであるとしても,被告人の昭和51年7月5日付の「昭和49年分窓口診療収入金の出金経路別明細」に関する答申書(記録2031丁)及び被告人の上記供述に照らし,叙上の昭和48年の被告人渡し支払い額の総額を1200万円と推計することの妨げにはならない。所論は,また,仮にそれら費目の支出があったとしても,その原資は,自費診療収入金からのみ支出されたものとするのは誤りであると主張するけれども,そもそもここで問題としたのは,自費診療収入額を算出するために,窓口で受領した自費診療収入金を出金経路別に調査しようとするもので,その過程で,自費診療収入から被告人に渡された被告人において支出した金額がいくらかということを調査したのであって,支出の費目・金額を確定したり,その原資一般について明らかにすることを直接の問題とするものではなく,それらについては,支出額算出の場面でさらに綿密な検討が加えられるべきであって,所論は前提を異にし,失当たるを免れない。所論は,さらに,原判決は1期分についてカバン屋への支払額を462万円と認定しているが,これは右1200万円の内訳としてのカバン屋への支払額700万円と大幅にくい違っているから,その推計方法に合理性はないとも主張する。しかしながら,右昭和48年における被告人渡し支払額1200万円は,右内訳額だけに基づいて認定したものではなく,前記のとおり昭和49年における被告人渡し支払額との比較や毎月の平均支出額等をも勘案しこれらを総合して認定したものであり,カバン屋からの仕入額については,これとは別に経費の算定に際して,それに相応しい推計の方法により確定されるべきものであるから,右のくい違いがあるからといって,被告人渡し支払額を1200万円として,これに相応する自費診療収入があったと認定することが不合理であるとはいえない。
3 以上,原判決における1期分の収入の推計による認定に合理的疑いを差し挟まざるを得ないような事情はなく,原判示第一の事実につき,所論のいう事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
第2原判示第二の罪に関する事実誤認の主張について
1 所論の要旨は,原判決は,本件2期分の歯科用の貴金属の仕入額を正当額よりも過少に認定して事実を誤認した。すなわち,被告人はカルテに基づいて2期分の貴金属の仕入額を算出するに際して,収税官吏から該当する患者のカルテの全数を示されておらず,現に,岡崎小手帳に患者名が記載されながら,被告人が仕入れた貴金属で加工したものを使用して治療を実施した歯の本数等を調査してとりまとめた被告人作成の収税官吏宮崎に対する昭和51年7月14日付答申書(検152号証,以下,検152号答申書という。なお,検察官請求証拠については右と同様に検察官請求番号をもって表示する。)付表にその患者名の記載がなく,カルテも所在不明となっている患者が,60名もあり,これらのカルテは右調査の際被告人に示されていないことになる。したがって,その治療した歯の本数が右答申書の歯の本数に加算されなかった結果,その貴金属の仕入金額が調査金額から漏れ,過少に認定されている,というのである。
2 そこで,検討するに,当審における被告人の供述によれば,控訴趣意書に記として記載した患者,日時,治療代全部が貴金属を使用した治療を実施したものであるというわけではなく,そのうち治療代7000円以上のものが貴金属使用の治療を実施した可能性のあるものであり,そのうち6,7割は被告人の仕入れた貴金属を用い被告人方の技工室ないしは金野技工所で加工したもので治療し,その余の3,4割はそれ以外の外注先が貴金属を仕入れて加工したもので治療したというのであり,被告人方顧問税理士小池康敏は,原審第22回公判廷において,貴金属を使用した治療代のうち材料費の占める割合は,22パーセント位であるというのであり,被告人も当審において,治療費中に占める貴金属の仕入高は20ないし30パーセントであると供述している。したがって,被告人に最も有利に計算すると,上記の控訴趣意書に記として掲記されているうちから,上記の17名分と治療代7000円未満のものを除いた治療代合計金額は,427万5100円であり,そのうち7割に当たる299万2570円が被告人の仕入れた貴金属を用いて加工したもので治療した治療代の合計金額であり,そのうち材料費として占める貴金属仕入高は,3割として,89万7771円ということになり,その分だけ仕入金額が過少に認定されていたということになる。そうすると,原判決の認定した昭和49年分の総所得金額3551万6494円は,89万7771円の過大認定ということになるが,右誤認は,約2.5パーセントに過ぎない。また,別紙税額計算書のとおり原判決認定の逋脱税額1367万0400円も53万8800円の過大認定ということになるが,右誤認も約3.9パーセントに過ぎず,いずれも誤認額の割合が低く,本件犯情の認定に影響がないと考えられることよりして,仮に右誤認があるとしても,いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。